函館地方裁判所 昭和32年(わ)407号 判決 1960年3月05日
被告人 平田武美 外二名
主文
被告人平田武美を懲役八月に、
被告人福田郁夫を懲役六月に、
被告人小寺義信を懲役四月に各処する。
但し、被告人等に対し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は、全部、被告人等の連帯負担とする。
理由
(被告人等の経歴)
被告人平田武美は、昭和二十年四月に、現在の日本国有鉄道(以下国鉄と略称する)に奉職し、青函船舶鉄道管理局(以下青函局と略称する)青函連絡船の甲板係として勤務し、国鉄労働組合(以下国鉄労組と略称する)が結成されると同時にこれに加盟して組合員となり、以後同二十四年頃、国鉄労組青函地方本部(以下青函地本と略称する)船舶支部船員区分会執行委員、同二十九年頃日高丸分会分会長、同じ頃、船舶支部青年部長、同三十一年頃、同支部執行委員から青函地本執行委員を経て組合専従職員となり、同三十二年、右地本書記長の役職に就いたもの、
被告人福田郁夫は、同十八年十二月に国鉄に奉職し、青函局青函連絡船の三等航海士として勤務し、その後二等航海士となつたが、国鉄労組が結成されると共に加盟して組合員となり、同二十一年三月、船舶支部副委員長、同年五月、国鉄北海道労働組合の中央執行委員として組合専従職員となり、同二十三年五月頃、摩周丸分会長を経て第二青函丸分会長となり、同二十七年、船舶支部委員長として再び組合専従職員となり、以後、同二十八年から同二十九年まで青函地本執行委員、同三十一年、船舶支部副委員長の役職に就いたもの、
被告人小寺義信は、同二十二年五月に国鉄に奉職し、青函局青函連絡船の三等航海士として勤務し、現在二等航海士であるが、その頃、国鉄労組に加盟して組合員となり、同三十年十一月頃、船舶支部徳寿丸分会副分会長、同三十一年六月、同支部情宣文教部長を経て、同年十月から組合専従職員として、青函地本調査部長となり、同年十二月、北海道地方評議会(以下地評と略称する)常任評議員の役職に就いたものである。
(本件事件発生に至る経緯)
国鉄労組は、昭和三十一年十一月十七日、国鉄当局に対し、同年同月以降、基準賃金の一人平均二千円引上げ、最低保障を基準内十八才八千円とせよ等の要求事項を提出したがこれを拒否されたので、同年十二月二十七日、調停委員会に対し、右紛争について調停申請を行つたところ、翌三十二年三月九日に調停案は提示された。
右調停案の骨子は、(一)昭和三十二年度予算単価における基準内賃金額を一人平均千二百円増額すること。なお、本年度については、この給与改正の主旨を勘案し適宜の措置を講ずるものとすること。(二)初任給については、労使双方協議の上、若干の是正を行うこと。この是正源資は、右(一)の給与改正に要する源資以外に附加すると云うにあつた。
よつて、組合側は翌十日、これを受諾したが、国鉄当局側は、右調停案は、日本国有鉄道法第二十八条の給与原則等との関係上疑義ありとして諾否の回答を留保、同月十五日に至つてこれを拒否すると共に、同日、仲裁委員会に仲裁申請を行い、その結果、同年四月六日、仲裁裁定の提示を見るに至つたが、その間、国鉄労組は、前記要求の完徹、調停案受諾後は、国鉄当局に対する右調停案の即刻受諾とその完全実施を求めて、国鉄労組中央闘争委員会に於て所謂昭和三十二年春季闘争(以下春闘と略称する)を指令し、青函地本闘争委員会に於ても、右指令に基き、春闘の一環として、同年二月二十一日から翌三月十二日までの間に、第一波から第三波まで、所謂遵法闘争や時間外又は時間内の職場大会を実施した。これに対し、国鉄当局側は、同年五月九日、春闘に於て、勤務時間中の職員に職務を放棄させた組合幹部の責任を問い、十九名を解雇したほか、多数の組合役員に対し、停職、戒告、訓告等の行政処分をしたが、その際、青函地本に於ても、湯浅執行委員長ほか被告人平田、同小寺を含む八名の役員が訓告処分を受けた。これより先、右処分に先だつて、国鉄労組では、国鉄当局側の春闘に関係した組合幹部に対する行政処分は必至であると見て、同年四月十日、十一日の両日中央委員会を開催し、来たるべき行政処分に対する抗議闘争につき討議した上、国鉄当局が行政処分を行つたときは、各職場に於て、処分通告の日の翌々日から二日間にわたり、午前九時から勤務時間内三時間の職場大会を開催してこれに抗議すると共に、併せて、従来、国鉄当局が数次にわたる仲裁裁定を不完全実施に終らしめたこと、及び各職場の劣悪危険な労働条件を放置していることに対する責任を追求することを決め、同月十三日、中央闘争本部から全国各地本にその旨の闘争準備指令を発したが、特に青函地本に対しては、組合員中多数の船舶勤務者があること、従来、船舶で職場大会を実施した例が少ないこと等の特殊性から、船舶に於ても職場大会を開催するよう明示して指令した。よつて、青函地本は、同月十五日頃、右本部指令に基き、処分抗議闘争に関する同旨の準備指令を傘下各支部分会宛に発したが、特に海上関係の船舶支部(及びその構成分会)に対しては、前記闘争時間帯に青森、函館及び有川の各桟橋碇泊中の船舶に於て職場大会を実施するよう指令したが、これによれば、青森桟橋発午前九時五十分の下り第十七便客船が、職場大会実施船舶として、右指令に該当することとなつた。その後青函地本に於ては、大坊副委員長、被告人平田書記長、青木企画部長、小田交渉部長の四名構成にて戦術委員会を設け、これに地本執行委員会、船舶支部執行委員会、傘下支部分会の代表者会議等の意見を参酌すると共に、一方、中央闘争委員会から、指令実施の現地指導者として派遣されることになつた斎藤正明と連絡をとり指令の具体的実施について討議し検討したが、その結果、青森桟橋碇泊中の下り第十七便客船における闘争の実施要領として、先ず、被告人平田を現地派遣闘争委員に指名し、大会は原則として指令どおりの時間帯で行うが、当局側の助勤者による船舶運行、公安官又は警察官の闘争介入、乗客との摩擦等によつて、職場大会が継続できないような事情があるときは、一時間の繰上げ変更もよいとし、その判断は、現地派遣委員たる被告人平田に任せ、大会開催場所は、右客船の三等中部客室とし、乗客が乗船して来た場合は、その場所を船員居室に移すが、職場大会の完全実施のため、ピケツト要員として約百名を、右客船以外の支部分会から動員し、該船舶の二、三等の舷門及び職場大会会場となる中部三等客室入口等、官憲の介入を阻止し、或いはスキヤップ行為を防止し、又は助勤者の説得をなすに容易な場所に配置することを決め、具体的な配置場所及び人員等は、被告人平田が決定することとし、本件闘争の激励のため、青森県労働評議会(以下青森県労と略称する)に対し、約二、三百名の動員方を要請し、乗客対策としては、連絡船利用客に闘争の趣旨を周知徹底させ、その協力を依頼要請する方針のもとに、ポスターを国鉄青森駅待合室に貼り、ビラを職場大会実施連絡船に接続する列車内の乗客に配布する等の計画を立て、極力乗客との摩擦を回避すべく説得することに努め、職場大会終了まで、利用客に乗船を待つてもらうこととし、説得できない客は乗船させることとした。果して、同年五月九日国鉄当局は前記の如き処分を通告をなすに至つたため、中央闘争本部は同日付で、準備指令どおり職場大会を実施せよとの正式指令を全国各地本に発し、青函地本もまた、右指令に基き、傘下各支部及び分会にさきになした準備指令に則り、同月十一日、十二日の両日、午前九時から三時間の職場大会の実施を正式に指令したが、その結果、自動的に同月十一日の闘争時間帯に青森桟橋碇泊中の下り第十七便客船は、同日午前四時二十五分青森桟橋に着岸し、同九時五十分出航予定の青函連絡船摩周丸であることが確定し、ここに青函地本船舶支部摩周丸分会に於て、職場大会が開催されることとなつた。
以上の如き、青函地本の下り第十七便客船における職場大会実施の動向について、その実施要領を事前に察知していた青函局側は同年四月十七日から同年五月十日までの間、約十回に及ぶ会議を開き、これが対策として、右局の部・課長、労働課員等からなる十数名の応援者によつて、組合側のピケを排除して乗客を乗船せしめ、非組合員たる職員や、当日非番の組合員等からなる三十数名の助勤者によつて、下り第十七便客船の乗組員の職場大会参加の場合の代替要員として出港準備作業に就かせることとし、右第十七便の定時出航を確保するため、通常は、出航四十分前に行われる乗船開始も、闘争当日は、出航一時間三十分前の午前八時二十分から繰上げて行うこととしたが、そのほか、労組側において、右第十七便の定時出航を遅延せしめるため、客船二等舷門乗降口に掛けられるタラップを取外そうとする計画があるとの情報もあつたため、右の如きタラツプ取外しによる妨害行為を未然に防止するため、二等舷門扉の蝶番と二等舷門乗降口タラップの手摺とを鎖で巻いて施錠することとした。
(罪となるべき事実)
当時、被告人平田は、国鉄労組青函地本書記長として、右地本設置の斗争委員会の副斗争委員長でもあり、前記戦術委員会委員として前述の如き本件斗争を企画すると共に、右斗争委員会の決定に基き、下り第十七便客船における斗争の現地派遣委員として現地斗争指導者たる地位にあり、
被告人福田は、船舶支部副委員長として、前記の地本指令に基き、船舶支部執行委員会を開催してその具体化を討議し、地本と密接な連絡の下に、船舶における斗争の実施要領を検討し、同支部所属の分会代表者会議等を通じて斗争の目的、手段等の徹底を計り、本件斗争の際は、被告人平田の指揮下に、同被告人を補佐して傘下分会である摩周丸分会の斗争を指導する地位にあり、
被告人小寺は、国鉄労組北海道地方評議会常任評議員で、本件斗争に際しては、派遣オルグとして青函地本に派遣され、被告人平田の指揮下に入つて摩周丸斗争を側面から援助することとなつていたものであるが、
被告人平田は、昭和三十二年五月十一日午前四時二十二分頃、摩周丸が国鉄青森駅青函連絡船第二岸棧橋に到着した際、同棧橋二等送迎場で一般乗客に引続き、ピケット要員である国鉄労組員約百名が下船してくるのを出迎え、右組合員を掌握し、具体的任務を指示するため、これ等を右棧橋待合室附近に誘導しようとしていたところ、青森棧橋長永沢武志の指示を受けた同棧橋助役石原富三、同石田勇の両名が、前記の如くタラップ取外しを防止する趣旨の下に、摩周丸の二等舷門船首寄り扉の蝶番と、二等舷門乗降口に架設中のタラップの手摺との間に鎖を巻き付け、これに施錠しようとしたため、これを認めた労組員等は、青函局側の異例の労組対策と直感して激昂し、同棧橋二等送迎場から右タラップ上及び二等舷門付近に馳け上つて蝟集し、同助役等に交々、抗議或いは詰問したが、その間にも、同助役等は、右鎖錠作業を続行して、前示箇所に鎖錠を完了するに至つたところから、被告人平田も、青函局側の右措置に憤慨し、むしろ右タラップを取外し同所付近を占拠し、これに対抗しようと考え、その結果、陸上と二等舷門との交通路を遮断し、乗客等の通行を不能にすることを認識しながらも右タラップを取外すため、同四時四十分頃、同被告人において、摩周丸甲板部倉庫から取出して来たハンドハンマー長さ約一尺位のものを以て右錠前を数回叩き、その掛金と台とを遊離させてこれを損壊したうえ、前記鎖を解放し、右タラップを容易に取外しうるようにした。その頃、被告人福田、同小寺は、前記二等舷門付近において他の労組員と共に交々、永沢棧橋長等に抗議していたが、その後間もなく、同四時四十分過ぎ頃、同棧橋二等送迎場に降りた被告人平田が、「皆手をかせ、タラップを外すのだ」等指示するのを聞き、同被告人の前示意図を察知し、乗客等の通行が不能になることを認識しながら、同被告人及び付近の国鉄労組員約五十名と共謀のうえ、同タラップを取外して二等舷門付近を占拠しようと企て、被告人平田の指揮に従い、直ちに、同棧橋二等送迎場付近及び二等舷門付近甲板通路にいた組合員約二十名と相呼応し、前記二等舷門に架設中のタラップを取外して棧橋二等送迎場の三等送迎場寄りに運搬移動せしめると共に、二等舷門の扉を閉鎖し、組合員約五十名を以て、幅約二米の二等舷門口付近甲板通路に並列密集して同所を占拠し、同六時頃に至り、二等舷門付近船首寄りの柱と、二等舷門船首寄り船室側手摺の間に直径約一寸のロープを腰の高さ位に三重に張渡し、その一端を右二等舷門付近船首寄りの柱から更に二等舷門船尾寄りの柱にかけて二重に張廻し、また同舷門船尾寄り舷側手摺と、同じく船尾寄り船室側手摺の間に、前記船首寄りに張廻らしたロープから約六米の間隔をおいたところに直径約五分のロープを一本張り、よつて、前記通路上の組合員をロープを以て囲み、右通路を遮断し、同日午前十時五十五分頃、右二等舷門の占拠を解くまでの間、青函局側において、船内と棧橋との通路を遮断されて連絡船利用客の乗船が阻止されるのを防止するため、二等舷門扉を開放し、タラップを架設しようと図り、午前六時頃から約三十分位の間隔で前後六回にわたり、前示二等舷門付近甲板通路上の組合ピケ隊員を排除しようとして、前記応援者及び助勤者がこれに接近するやその都度押し返す等の実力を用いて二等舷門扉の開放を阻止し、従つてまた右ピケ隊員に対する排除作業に呼応して、午前六時三十分頃から約三十分位の間隔で前後四回にわたつて、棧橋長、棧橋助役、応援者及び助勤者がこころみたタラップ架設作業を不能にしてこれを妨げ、因つて、その間、連絡船利用客の乗船を不能ならしめた結果、同日午前九時五十分定時出航予定の摩周丸の出航を約一時間二十九分遅延するに至らしめ、以て、威力を用いて、国鉄の青函連絡船下り第十七便摩周丸による運行業務を妨害したものである。
(証拠の標目)(略)
なお、検察官は被告人等の本件犯行はいずれも国鉄労組青函地方本部において決定された摩周丸に対する出航遅延計画に基き当初より乗客の乗船を阻止する意図の下に敢行されたものである旨主張するけれども、右地方本部における本件闘争方法についての会議において職場大会終了まで同船の出航を阻止し、そのために判示タラップを取り外し乗客を乗船せしめない計画が立てられたことについてはこれを確認するに足る証拠はなく、却つて
(イ) 摩周丸が青森桟橋岸壁に着岸した後函館から同船に乗船して来たピケ要員は殆ど全員乗客に続いて下船したこと
(ロ) 被告人三名及び国鉄労組員等は松谷助役等がタラップ鎖錠作業を開始するに及んで急拠同助役等の周辺に引き返し取り囲み抗議詰問し引続き同所を占拠しその間に被告人三名の判示犯行が行われたこと
(ハ) 証人青木正、同大坊一郎の各証言並びに被告人福田の当公廷の供述によれば、右青函地方本部として本件闘争に当つては乗客との摩擦を警戒しこれに対する説得に腐心すると共に乗客が乗船して来た際は摩周丸三等中部船室で行われる職場大会の会場を船員室に移すことに予め計画していたこと
(ニ) 証人渡辺三夫、同油谷安浩の各証言によれば、当日午前八時二十分頃国鉄労組支援のため桟橋踊り場に参集した青森県労の応援者は船内職場大会場に赴いて同大会を激励することに連絡されていたが、タラップが取外されたため船内に入れなかつたこと
等の事実を認めることができ、これを証人永沢、同松谷、同石原、同泉、同大沢の各証言によつて認められる如く判示二等舷門タラップは摩周丸と陸上との正規の連絡交通路であり乗客の交通路として常時設置するのを原則とし通常は船舶の移動、傾斜、浮沈等に備え船舶と岸壁との位置関係の変化を考慮し、タラップ落下による船体の損傷を防止するためタラップと舷門とは固着することなく伸縮可能なようにロープを以て緩くゆとりを以て縛るのを通例としていることに照し考察すると被告人等の本件犯行は判示のとおりタラップと船体とを鎖錠し固定しようとする前記松谷等の異例の措置に刺戟されこれに対抗して敢行されるに至つたものと解するのが相当である。尤も被告人等は右犯行時乗客阻止は全く考えなかつた旨主張するが、被告人等はいずれも連絡船乗組の経験を有し本件二等舷門が同船の正規の交通路であり乗客が乗船する際の通路であることは充分知悉していたと認められ、被告人平田は判示鎖錠を破壊しそれを解放後直ちに労組員を指揮し、被告人福田、同小寺もこれに応じタラップを取外し、タラップ掛けのためにはその解放を必要とする二等舷門扉を閉鎖し、同舷門付近甲板通路に密集して同所を占拠する等の一連の行為を極めて迅速に行つた事実に徴すれば、右鎖錠損壊に着手する際、タラップ取外しと同所の占拠とを考え、その結果結局陸上と船舶との交通路を遮断し、乗客の乗船が不可能となることを認識していたと認められ、被告人福田、同小寺も判示タラップ取外しの行動に加功した際右同様の認識を有していたと認めるのが相当である。
また、弁護人は、被告人小寺は本件タラップ取外しには関与していない旨主張し、被告人小寺も第二十三回公判期日における当公判廷において、自分は、当局側が何故鎖錠行為をするのかについて川村労働係長と議論し合つた直後というのは非常に興奮していたが、そのときふと見たら、タラップは外されておつたように記憶しているのであつて、タラップに手をかけていないし、被告人平田のタラップを外せとかの声も聞いていない旨、右弁護人の主張に副う供述をしているが、前掲証拠中、証人久保の「タラップ外しのとき舷門の船首寄りの方に小寺がいた。船内に残つた人の最前列の人が手をかけていた」旨の、証人石坂の「小寺は船側でタラップに手をかけていた」旨の、証人田中の「小寺は船側にいてタラップの爪を外す組合員の中に入つていた」旨の及び、証人川村の「舷門の方には二十名程いたが、その中では手をタラップにかけない人もいた。小寺、成田は舷門の方にいた。小寺はロープに手を掛けてタラップが外れるよう助力していた」旨の各証言を綜合すると、被告人小寺が、本件タラップ取外しの際タラップの手摺と二等舷門船首寄りの鉄柱とをゆわえたロープに手をかける等本件タラップ取外し行為に、現実に加担したものと認定するのが相当で、右主張は採用できない。
(訴訟関係人の主張に対する判断)
一、弁護人は、従来の判例に従い、国鉄及び国鉄職員の業務を公務とする限り、国鉄職員に関しては公務執行妨害罪の成立することあるは格別、威力業務妨害罪の成立する余地は無いから、威力業務妨害の事実を以て構成する本件訴因は誤りである旨主張するので検討すると、日本国有鉄道法第三十四条第一項により国鉄役職員は公務に従事するものとみなされるところ「業務妨害罪にいわゆる業務のなかには公務員の職務は含まれないものと解するのを相当とするから、公務員の公務の執行に対し、かりに暴行又は脅迫に達しない程度の威力を用いたからといつて、業務妨害罪が成立すると解することはできない」とする最高裁判所判例(昭和二十六年七月十八日大法廷判決集五巻八号一四九一頁以下)のあることは所論のとおりであるけれども、国鉄又はその役職員の行う事業又は事務等の業務は、本来一の社会的経済的企業活動であつて、ただその高度の公共性の故に右役職員について公務員としての取扱いがなされるものと解せられるから、警察官等に対する労働者等の或る程度の実力行使の行為が業務妨害罪を構成しない旨判示した前記判決のあることから、直ちに国鉄役職員の業務も亦右判決と同様に解すべきものとすることはできない。蓋し業務妨害罪は個人又は団体の社会的経済的活動を現実にも精神的にも保護することを目的とするものであるから、仮令国鉄役職員が公務員とみなされその担当業務が公務と解されるとしてもその業務が本質的に企業活動である以上同時に業務妨害罪にいわゆる業務に該るものと解するのほかはないからである。
換言すれば、国鉄職員による輸送業務は、右職員による公務の執行であると共に公法人たる国鉄の一連の業務の範ちゆうに入るのであるから、暴行脅迫の程度に達しない威力を用い右輸送業務を妨害するに於ては威力業務妨害罪だけが成立すると解せられ、従つて、本件威力業務妨害罪の訴因は誤りなりとする右弁護人の主張は採用できない。また、昭和三十年十月二十六日最高裁判所大法廷判決(集九巻十一号二千三百十三頁)は、国鉄業務が、業務妨害罪に謂う業務であることを認めるものであるから、当裁判所の前記見解は従来の判例に反するとの批難も当らない。
二、検察官は、公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する)第十七条違反の争議行為に対しては、労働組合法上の免責規定の適用の余地が無いと主張するが、公労法第三条は、労働組合法第八条(所謂民事免責の規定)の適用排除を明言しながら、同法第一条第二項(所謂刑事免責の規定)の適用を排除していないということ、公労法第十七条は、労働関係調整法第三十六条乃至第三十八条が、争議権を剥奪することなしに、一定の手段方法を禁止又は制限したのとは趣きを異にし、争議行為それ自体を禁止した点で、むしろ国家公務員法第九十八条第五項前段、地方公務員法第三十七条前段と軌を一にするものであるが、国家公務員法は同法第百十条第一項第十七号に於て、地方公務員法は同法第六十一条第四号に於て、それぞれ前記禁止規定違反の行為に対し罰則を設けているのに対し、公労法は、同法第十七条違反の行為に対し罰則規定を有しないということ、更には公労法が沿革的に昭和二十三年政令第二〇一号にかえて制定された法律であるにも拘らず、同令には存した罰則規定を公労法には存置しなかつたという経緯を併せ考察すると、公労法によつては、同法違反の争議行為に対し、可罰的な違法性を付与するものではなく、依然、同法第三条により準用される労働組合法第一条第二項の適用を受くるものであると解するのが相当であるから検察官の右の見解には賛同し難い。
三、弁護人等は、被告人等の本件行為は、労働組合法第一条第二項に謂う正当行為として適法である旨主張するが、判示認定のごとく、被告人平田が、青函局側の鎖錠措置に対し、ハンマーを振つて施錠を損壊し、よつて鎖を開放して右鎖錠措置を排除するが如き暴力を用い示したことは、到底、正当な行為と云えないし、被告人等三名が、国鉄労組員約二十名と相呼応して青函局側のタラップ架設措置を排除すると共に、二等舷門扉を閉鎖し、労組員約五十名と共に二等舷門口付近甲板通路に密集してこれを占拠し、右通路上の組合員をローブで囲んで右通路を閉塞するが如き所為に出たことは、当裁判所の検証調書及びその添付図面並に写真によつて明らかな如く、架設中のタラップの効用は、船内と陸上との正規の主要交通路たるものであること、二等舷門の構造上、扉を閉鎖する限り、タラップの架設が不可能であること、二等舷門口甲板通路は巾約二米の狭あいな通路であることを勘案すれば、結局、棧橋二等送迎場と摩周丸との正規の主要交通路及び摩周丸二等舷門口付近甲板通路を閉鎖遮断し、よつて、青函局側のタラップ架設措置、摩周丸利用客の乗船意思及び船側並に棧橋側からなされるべきタラップ架設作業員の作業意思に対して終局的になされた拒絶行為で、およそ所謂言論による説得行為ないし団結による示威行為以前の、物理的な拒絶状態を惹起させたものであつて、被告人等三名の所為が労働組合法第一条第二項所定の正当性の限界を逸脱したものであることは明らかである。よつて、右弁護人等の主張は採用できない。
四、弁護人等は、被告人平田の本件鎖錠損壊行為は、正当行為ないし緊急行為である旨主張するものの如くであるが、判示認定事実によれば、青函局側の鎖錠行為は異例の措置で、かつ結果的に国鉄労組員等を刺戟した点で、いささか拙劣な方策であつたことは否定できないが、これも一の青函局側の判示の如き情報に基く争議対策であるから、なお適法な権利行使と評価すべきであつて、この様な青函局側の措置には、当時、船舶の危険の可能性ないし青函局側による船内職場大会自体に対する介入の具体的な緊迫状態が見られない本件の場合は、現に、多くの組合員がなしたように、青函局側作業員に対し、抗議ないし詰問するに止まるべきで、かつ、これを以て足り、被告人平田のみ判示認定の如き所為にでたことは、これを正当行為ないし緊急行為と云うことを得ないから、右主張は採用できない。
(法令の適用)
被告人等の判示所為は、刑法第二百三十四条、第二百三十三条、罰金等臨時措置法第三条第一項第二条刑法第六十条に該当するが、被告人等の判示所為は、頭初の意図がいずれにあつたにせよ判示の通り労働運動の範囲を逸脱し、その結果として、本州と北海道を繋ぐ重要な旅客輸送路である青函連絡船の発航を遅延せしめ、乗客に多大の迷惑を及ぼした点に於てその責任誠に軽からざるものありと云うべく、よつて被告人等につき、いずれも前示法条所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内で被告人平田を懲役八月に、被告人福田を懲役六月に、被告人小寺を懲役四月に各処することとするが、更にその情状につき、翻つて考えるのに判示冒頭に述べた通り、本件所為に至る迄の背景並に諸経過及び本件犯行に至つた直接の動機が青函局側の異例の措置に端を発したものである等その他諸般の情状に鑑み、右刑の執行を猶予するのを相当と認めるから、同法第二十五条第一項に則り、いずれも本裁判確定の日から二年間、右刑の執行を猶予すべく、訴訟費用については、刑事訴訟法第百八十一条第一項、第百八十二条に従い、全部、右被告人等の連帯負担とする。
(本件公訴事実中被告人平田に対する暴力行為等処罰に関する法律違反の点に関する部分の説明)
本件公訴事実中「昭和三十二年五月十一日午前四時二十三分頃、摩周丸が青森桟橋に到着し、一般乗客を下船せしめた後、青森桟橋長永沢武志において右連絡船の定時出航を確保するため同桟橋助役石原富三等をして二等船客乗降口のタラップと舷門とを鎖にて巻付け該鎖に施錠せしめるや、被告人平田は同四時四十分頃、氏名不詳の者と共同して同被告人がハンドハンマーを振い氏名不詳の者が鉄棒をもつて右施錠を強打したり又は鎖をこじる等して右施錠を損壊し」たとの点に付審按するのに、第七回公判調書中証人田中政雄、同堀四郎の各供述記載部分及び第十三回公判調書中証人久保健吉の供述記載部分を綜合すると、右証人三名は、被告人平田は判示鎖錠を損壊した際、容易に錠前を損壊出来なかつたので、同被告人が指示したのに応えて、同被告人の錠前損壊作業を手伝うため、鉄道作業服を着た氏名不詳者が、桟橋方向から長さ四尺位、直径五分位の鉄棒を持つて現場に現れ、錠前をこじるような恰好をしていた旨の供述をしているが、右三名の供述内容を仔細に検討すると、右三名は、被告人平田の犯行時及びその前後の行動に対しては明瞭に認識しているのに比して、鉄棒を持つた氏名不詳者の行動に対する観察は不鮮明で不明確さが見られるところ、第五回並びに第六回公判調書中証人川村鬼一、第十回公判調書中証人吉原実、同中村信一、第十一回並びに第十二回公判調書中証人永沢武志、第十七回公判調書中証人石田勇の各供述記載部分によれば、被告人平田の作業を等しく目撃した石田勇、吉田実の両名は鉄棒を持つた氏名不詳者を目撃していないし、右手にハンドハンマーを持つた同被告人を、タラップ上に見かけた中村信一、永沢武志、川村鬼一は、仮りに鉄棒が実在するとすれば、その形状、大きさから、右ハンマーに比較して、より顕著な所在を示すと思われるのに、これを目撃していないような有様で、これらの事実に更に当裁判所の検証調書並びにその添付写真によつて右犯行現場付近の四囲の状況を見ても、突嗟に、鉄棒を調達できるような場所であるとは到底認めがたいし、更に又、鉄棒の存在を窺わせるに必要なその出所についての立証もないこと等を考え併せるとき、前記三名の証人の供述はたやすく措信することは出来ない。そもそも、被告人平田の鎖錠損壊行為は、判示の如き大混乱時の出来事で、前記三名のその様な際における興奮裡の瞥見に基いては、鉄棒を持つた氏名不詳者の存在自体、これを確信し認定することは躊躇せざるを得ない。そこで、他に被告人平田が余人と共同して施錠の損壊をしたことを認めるに足る証拠はないから、同被告人に対する暴力行為等処罰に関する法律違反の点に関する前記公訴事実については、未だ犯罪の証明が充分でないと云うべきであり、ただ、被告人平田の判示鎖錠損壊行為は、刑法第二百六十一条に該当し器物損壊罪を構成するが、同罪は同法第二百六十四条により告訴を待つて論ずべきであるのに、告訴があつたことを認めるに足る証拠はないので、被告人平田の右器物損壊の点については公訴を棄却すべきところ、右は結局、判示威力業務妨害の罪と一所為数法の関係にあるものとして起訴されたものであるから、この点につき、主文において特に公訴棄却の言渡をしない。
(裁判官 永淵芳夫 千葉和郎 井野三郎)